〜内向型・ASD傾向の私にとっての“唯一無二の存在”〜
推し活なんて、バカバカしいと思っていた
推し活。
それは、キラキラしたグッズを集めて、イベントに並び、SNSで叫び、時には遠征までして人生を捧げるような行為――。
正直、ずっとバカバカしいと思っていました。
私は芸能人にもまったく興味がありません。
誰が誰だか分からないし、テレビに出ている人たちは“全員同じ顔”に見えます。
騒がしい場所は苦手なのでライブにも行ったことがないし、SNSでのファンのやりとりにも疲れるだけ。
何より、“人間”を推すと、どうしても「私を認知してほしい」という気持ちが生まれてしまって、見返りを求めてしまう自分が苦しくなるのです。
そんな私が――
ぐんまちゃんに出会ってしまったのです。

群馬に引っ越して、看板のあの子に目を奪われた
ぐんまちゃんの存在自体は、なんとなく知っていました。
「ぐんまくん?なんか馬のゆるキャラいたなー」くらいの認識です。
でも、群馬県に引っ越してきてから、至るところで看板や案内板にいる姿を目にするようになりました。
最初は「よく出てくるなあ」くらいだったのですが、ふとある日、思ったのです。
「……なんか、可愛いな。」
気になって、図書館で見つけた『ぐんまちゃんとお散歩』という本を借りてみました。
そしてページをめくった瞬間――
ノックアウトされました。
「なんて可愛いんだ!」
「こんな子がいたなんて…」
「知らなかったなんて…なんて人生損していたんだ…!」
(amazonでサンプルが見れるので、この可愛さを体感してほしい…!)
そこからはもう一直線。
ネットで情報をかき集め、YouTubeで動画を見て、イベントに行き、グッズを集め…
気がつけば、私は“推し活”をしていたのです。

YouTubeで見た「∞リボンをギュッと∞」が決定打
特に印象的だったのが、YouTubeで見た『∞リボンをギュッと∞』というダンス。
短い手足で、一生懸命に踊るぐんまちゃんの姿に、私は完全に心を奪われました。
その一挙一動がとにかくいとおしく、見ているだけで、
現実のストレスや不安がすべて吹き飛ぶような気がしました。
推し活なんてバカにしてたくせに、私は今、ぐんまちゃんの動画で泣きそうになっていたのです。
(ごめんなさい真ん中の子しか見てません。両サイドのお姉さんごめんなさい)
「ゆるキャラグランプリ?意味わからん」だった私が…
正直、ゆるキャラグランプリにも全く興味がありませんでした。
「なんでそんなに騒いでるの?」「着ぐるみに何を競わせてるの?」
…そんな斜に構えた目で見ていたのです。
でも今ならわかります。
“あの存在”は、誰かにとっての癒しであり、希望だったのだと。
私はゆるキャラが好きなわけではありません。
他のキャラを見ても、「可愛いな」とは思うけれど、心は動かない。
私が好きなのは、「ぐんまちゃん」なんです。

無理に笑わない、話さない、でもそばにいてくれる
2025年に発売された写真集『ぐんまちゃんBOOK(DIME編集室)』に掲載されていた、
ぐんまちゃんの生みの親である、中嶋史子さんの言葉があります。
原案を描く際に心に決めたのは、絶対に笑顔にはしないということでした。
落ち込んだ誰かの気持ちに寄り添える子であってほしい。これが私の願いです。
――これを読んだ瞬間、私は深く納得しました。
ぐんまちゃんの表情は、元気を強要しない。
無言だからこそ、余計な情報もなく、緊張感もない。
ただ静かに、そこにいてくれるだけで安心できる。
人間を推すと感じてしまう「認めてほしい」「返してほしい」という重さが、ぐんまちゃんにはまったくないのです。

まとめ:私は「人間」ではなく「ぐんまちゃん」を推す
芸能人を推せない理由も、
人間に対して感じるしんどさも、
SNS疲れも、
見返りを求めてしまう自分の弱さも、
全部、ぐんまちゃんには無縁でした。
だから私は、
人間ではなく、「ぐんまちゃん」を推すのです。
これは、ただの“かわいいキャラ”ではありません。
私にとっては、
世界の片隅で、静かに、確かに癒してくれる、たったひとつの存在なのです。

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